「アルバ=アルビカーレ」

名前を呼ばれ、振り返った。
その先には奇妙に歪んだ口元の男性が立っていて、ああボスだ、と認識する。
しかし自分を彼が直接呼ぶのは何故だろうかと、若干首をひねった。
ボスはとても忙しい人で、いつもは第1研究所にこもりきりだというのに。

「六道骸が、メインの研究所をこわしてしまったよ」

ロクドウムクロ、とは誰だっただろうか。
酷く懐かしい気がするのに、思い出せない。
だがメインの研究所とはおそらくはエストラーネオ第1研究所のことなのだろう。

「もうお前しかいないんだ、アルバ=アルビカーレ・・・お前のその瞳が、我々の希望なんだ・・・」

そこでふと「ああ、これは夢だ」と認識した。
何のことはなくて、脳みそが再生している過去の断片。

「ハイ」

口が、勝手に開く。
ああ、だめだ、思い出したくないと必死に起きようとするのだが、こういうときに限って起きれないのは、いったいどういう仕組みなんだと自分を叱咤した。

「ボス」

―――・・・やめて

「めいれいヲ」

―――・・・嫌だ、聞きたくない

「めいれい、ヲ」
「ああ、いい子だね・・・アルバ=アルビカーレ、僕のかわいいかわいい」

―――・・・やめて、やめて、やめて、やめてやめてやめてやめてやめてやめて

「Neve・Uscente(終焉の雪)・・・」


















「ねぇ」






















「――っ」

ハッとして目を開けると同時に、鈍い痛みが全身を駆け巡った。
一瞬思考が追いつかず先ほどの声の主に対する警戒心と、早く状況把握をしなければという焦燥感に任せて痛みを押して反射的に立ち上がる。
ヌルリとした何かが太ももを伝って、ピチャリと音を立てコンクリートに新たな赤黒いシミを作った。
よくよく見れば自分の周囲は赤黒いシミ・・・というよりはもう水溜りに近い。
おそらくは、自分の流した血なのだろう。
ああ、だからこんなにクラクラするんだ、なんて頭の片隅でまるで他人事のように感想を述べた。

「・・・ワォ、動けるんだ」
「っ!」

その声に、ぐらぐら回る視界をたえて顔を上げる。
真っ黒な髪に真っ黒な瞳。
出で立ちすら真っ黒な少年の、まるで珍妙な生物でも見るような視線とぶつかった。

「この血の量、普通なら死んでるよね」
「・・・」
「・・・なんで生きてるの?」

なんで生きているかなんて、こっちが聞きたかった。
自分は"あの時"確かに"彼"から攻撃を受けて・・・攻撃?
攻撃を受けた?・・・なぜ、なぜ受けたんだろう。
何か攻撃を受けるようなことをしたのだろうか、そもそも、攻撃を仕掛けた"彼"とは誰だ。
なぜ、その誰だかわからない"彼"は私に攻撃を?
おかしい、記憶がない。記憶が・・・。
そこまで考えてから、ハッとした。

「ねぇ、ちょっと、聞いてる?」
「・・・あ、たし」

"あたし"は、ダレ、だ?

















燃えるような夕日と、握られた右手と真新しいボストンバックを握った左手。
行く先はどこなのか、手を握っているのは誰なのかは、知らない。
ただ、赤く揺らめく夕日がとても寒々しく、陰鬱に見えたのは確かだった。








緑色の液体がはいった、巨大な試験管。
その中に入った、人、人、人。
溺れているのかと誰かに聞いたら、生きているよ、といわれた。
うそだと思った。
彼らはピクリとも動かないし、薄く開いた瞼の中に見える瞳には、凡そ生きていると実感できるほどの意思を見出せなかったから。
そしてその誰かは、お前もあの中に入るんだよ、と囁いた。









赤黒い、血染めの部屋。
試験管にはすべてに大きな亀裂が入り、中にいた人達はいなくなっていた。
よろめきながら、立ち上がる。
自由、自由だ。
やっと、自由に・・・―――。

「やっとみつけました・・・白い夜明け」

青と赤、二つの狂気がこちらに向いた。
・・・ダ、レ?


























ふっと意識が浮上して、自然にまぶたがあがった。
少し凹凸のある落ち着いた白い天井をぼんやりと見つめながら、あの色違いの狂気を思い返す。
あれは、瞳だった。
欲と絶望と、それから幾ばくかの深い悲しみが混ざり合った、複雑な狂気の色。
あれは、誰だろう・・・思い出せない。
そう思ってから気がついて、僅かに苦笑した。
自分のこともまともに思い出せないというのに、何を。

「ああ、起きたの」
「っ!」

その声に驚いて視線を向ければ、先ほどの全身真っ黒な少年がすわり心地のよさそうなソファーに体を沈めていた。
少年はその真っ黒で切れ長な瞳を軽く細めて「そこに」と口を開く。

「救急セット一式と僕の服置いておいたから、適当に処置して」
「・・・しょち?」
「・・・傷の手当。使い方、わかる?」
「・・・」

包帯、消毒液、ピンセット、脱脂綿、ガーゼ。正体不明の軟膏に、絆創膏。
使い方はわかる。わかるけれど、なぜ。
何故、見ず知らずの自分に。明らかに不審者であろう自分に、こんな事をするのか。
そんな思いをこめて真っ黒な少年をじっと見つめれば、彼は居心地悪そうに一瞬視線をはずした後もう一度向き直り今度は不機嫌そうに眉を寄せた。

「・・・迷惑なんだよ」
「?」
「並盛は僕の町。そこで変死体がでると、迷惑」
「・・・」

「だから早く傷の手当して」という少年を思わずポカンと見上げてしまう。
そんな理由で、助けてくれたのか、と。
そんな理由で、ざわざわ運んでベッドで寝かしてくれたのか、と。
正論のようで破天荒な彼の答えになぜか納得してしまって(させるだけの雰囲気を、この少年はなぜか身にまとっていた)そんな自分にほんの少しだけまた、苦笑してしまった。

「・・・わかった、ありがとう。使わせてもらいます」

真っ黒い少年は瞬間少し瞠目して「なんだ、まともにしゃべれるんだ」などとのたまった。
・・・余計なお世話だ、ジャッポネーゼ。