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鳥肌が立つのを抑えながら、ヒソカにターゲットプレートを手渡してもらった。
彼はそのときもニヤニヤと笑っていて、正直近寄りたくなかったのだが「直接、手渡しで」とプレート譲渡に条件をつけられてしまったので仕方ない。
「キミ、いいねぇ、本当に・・・おいしそうだよ」
「・・・それは、どうも」
ブアッと鳥肌が全身を駆け巡る。彼のいやらしい目が自分を撫で回している気がして、彼女は勢いよく彼の手からプレートをもぎ取ってすばやく後ろへ飛びのいた。
彼はそれをクツクツ笑いながら「何もしないよ」なんて嘯いている。
うそをつけうそを!と内心罵りながら、彼女はその深い緑の目で彼をにらんだ。
「知ってるかい?」
「・・・」
「どこかの国では、緑色の瞳の女性はモンスターなんて呼ばれているんだよ」
ギッと彼女に睨まれるたびに、彼は快感を覚えていた。
背中を這うゾクゾクとした・・・弱い電気にも似たそれに、彼は喜びを禁じえない。
彼は内心「ああ・・・」とため息を吐く。
この深い緑の瞳のさらに奥に深遠の闇が潜んでいる――と、彼は喉を鳴らした。
だがしかし、彼はその感情を理性という名の欲望で押さえ込む。
今はまだ、食べたくないのだこの・・・――この、彼の"お気に入り"を。
「そんなに怒らないでくれよ。ボクはキミを気に入ってるんだ」
「・・・」
「釣れないねぇ・・・そうだ、じゃあボクから言葉をひとつプレゼント」
彼はよりいっそうその粘っこい笑いを深くして「クモ」とつぶやいた。
彼女の肩が面白い様にビクッと大きく揺れる。
「そう、大きなクモがキミの後ろに近づいているよ。・・・今度は、逃げられるのかな?」
「キサマ・・・」
怒気を露わにした彼女に彼は声を立てて笑う。まさしく、気の触れたピエロのように。
彼女はそれに怯むことなく彼を睨んでいたが、けして自ら動こうとはしない。
ここで彼に戦いを挑むのは得策ではないし、彼も自分を殺す気はない。
断言できるのは、彼が自分を「おいしそう」と判断したこと。
死んでもごめんだがどうやら自分は彼に気に入られてしまった様だから、きっと彼に殺されない――今は。
彼なら、舞台を用意するはずなのだ。もっと人の目がある場所で、もっと残虐に。
「ああ、笑った。じゃあ、ボクは行くよ」
ニヤニヤと笑う彼の瞳は狂気に揺れている。
背筋に走った寒気を振り払うように、彼女は背を向けて森の中に彼が消えるまで、ずっと睨み続けていた。
濡れたハンカチで鉄線についた汚れを丁寧にぬぐう。
ゴウンゴウンゴウン・・・と大きなモーター音が響く中、彼女は一人で黙々と作業をしていた。
時々アナウンスで呼ばれていく人の足音を聞きながら、考えるのは蜘蛛のこと・・・それから、あのハンターの事。かのハンターが彼女を遊郭から買い取ったのは、彼女が数えで12になったときだった。
当時彼女はその遊郭で常に上位の花代を稼いでいたし、特に不自由は無かった。
ただ、その幼さゆえに常時暇を持て余し、毎日が退屈に感じていたのは事実だ。
紅塗りの角格子の窓からのぞく景色には大抵色に目を輝かせたオトナの雄と、それを誘うように視線を絡める何かに囚われた雌がいて、堤燈に照らされた暗い街を彩っている。
街の喧騒はもはや雑音としか感じずに、彼女の毎日は過ぎていった。
確かに、いつもおなかはいっぱいで(商品の自分が飢えていたら商売にならないから)いつも綺麗な着物をきて(商品の自分が汚かったら商売にならないから)女将やお姐さんには可愛がられた。
だけど、それだけだ。
毎日同じ時間にご飯が出る。毎日違う綺麗な着物を着せてもらう。
毎日愛でられ、可愛がられ――・・・毎日毎日違う男と過ごしてきた。
自分は「小さくて可愛くて、とりわけ素直でいい子だ」と女将がいっていた。
そんなものは当たり前。
抵抗することに意味など見出せなかった。
生きているのが億劫なはずなのに、死んでしまう覚悟はないから、この退屈な朱塗りの牢屋にとどまっている。
自分が好きでとどまっているのだから、抵抗などするはずもなく、だから素直だ。
夢なんてものもなく、ただただ毎日を"生きている"ただそれだけ。
――・・・ごめんなさい・・・。
よみがえる母親の声は、もはやあの嗚咽交じりの謝罪の声だけ。
そんな折、あの男が現れた。
下卑た笑いを見せるその男は、プロハンターだという。
なるほど、確かに抱かれたその腕はよく鍛え抜かれていたし、ほかのどの客よりも自分に自慢する武勇伝が血なまぐさかった。
彼女はそんなことを考えながら、その男に抱かれ続ける。
来る日も来る日も彼は現れて、朱塗りの牢屋へ金を払い、自分の手を取った。
その暗く淀んだ緑の瞳がいいと男は笑い、狂気に満ちたもので彼女を抉る。
事がすんだ後で聞かされる武勇伝はいつも血なまぐさい話ばかり。――彼はブラックリストハンターだった。
その話を面白いと感じたことなど無かった。
話は決まって、彼の勝利で終わる・・・そう、相手の首が胴体と離れて溢れるその血の海に彼が仁王立つことで終わるのだった。
彼は言った「俺は強い」と。だから死なないし、お前のような娘を貪る事ができるのだ、と。
ある日、いつもの様にお姐さんたちと朝餉をした後女将に呼ばれた。
女将はそれはそれは嬉しそうに「あんた、やったね」と自分の肩を抱く。
何事かと問えば女将は「あんたを引き取りたいってオヤジがいるんだ」とニッコリ笑った。
そして、彼女は下卑た笑いを浮かべたハンターに引き取られ――と、言っても多額の金を払ったので実質上ほぼ水揚げのようなものだ――彼女の長い長い苦渋の旅が始まる。
「受験番号【389】番の方、【389】番の方お越しください」
そのアナウンスにハッとして、彼女は中途半端に拭った鉄線をいつも通り髪の中へ隠し、部屋をでた。
向かう先はネテロ会長のいる部屋である。 |