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件の助産婦から「生まれたが、彼女が危篤」と連絡があり俺は急いで、あの薄汚いビルへと急いだ。
普通あんなビルでお産など衛生上どうなのかということもあるのだが、如何せん彼女の胸には蜘蛛がいる。
いつ何時それを見られてしまうか判らないのに、普通の産婦人科なんぞにいけるはずも無かった。
そのことで俺は大分申し訳なさそうな顔をしていたらしく、彼女にしては珍しい苦笑とも取れる表情を見せてくれた。
それがつい5時間前の話。
「一時は母子ともに危なかったけど」
助産婦はそういい置いてから、危篤状態の彼女に合わせてくれた。
「赤ん坊は私が見ています」と助産婦は部屋から出て行き、俺はもう何がなんだかわからない状態で彼女が横たわるベッドの脇に膝をおり、彼女の回復を待つしかなかった。
一時はどうなることかと思ったが、彼女は無事回復し赤ん坊も逆子で死産の可能性が高かった割りに未熟児ではなかった。
日に日に元気になる彼女に安堵してため息が増えた。
それを見て彼女は笑いながら「幸せが逃げちゃうわよ」なんて冗談を言う。
それにつけても赤ん坊の世話というのは大変だ。
2時間おきに泣き声をあげて彼女の母乳を欲する。
だがしかし彼女の母乳は毒で犯されていて与えてやることが出来ず、彼女は痛々しく腫れた乳房を風呂で絞るというなんとも痛ましい行為を数ヶ月間行った。
俺はと言えばその間、育児の本を読み漁りパクノダと彼女と交代しながらオムツ替えやらミルク作りやらをしていた。
ミルクを飲ませるのもなかなか大変で、赤ん坊は"ゲップ"がうまく出来ない。
故にさせてやらなければならないのだが、これがなかなか難しく、成功するよりも失敗のほうが多かった。
それからオムツ替え。
これがまた一苦労である。
替えようとしたらいきなり漏らされたこと数度、やっと寝静まったとたん泣き出し、何事かとおもってオムツを替えたら大きいほうをもっさりしていたり。
それでも何とか赤ん坊はミルクを飲み、よく眠り、成長していく。
異変に気づいたのは2ヶ月を過ぎたころ。
育児の本によれば赤ん坊というものは総じて約3ヶ月目にして首が据わるという。
だがしかし、この子供は既に首が据わっている。
腹ばいにするとひじをついて腕を突っ張りながら、頭と肩を持ち上げ、首を左右や上下に動かすこともできるし、あお向けで寝ている状態から両手を握って体を引き起こすと、途中から頭が体と一緒についてくる。
本によれば、これが出来る赤ん坊は"首が据わっている"ことになるというのだ。
しかし如何せん、早くは無いだろうか。
それを彼女にいってみたのだが「ただ単に他の子より出来がいいだけじゃない?だってクロロと私の子供よ?」といけいけしゃあしゃあとそんなことを言う始末。
俺は頭を抱えたくなった。
さらに3ヶ月目。
今度は寝返りが出来るようになった。
本によればそれは5ヶ月目に出来ることのようである。
あまりにも早い成長に俺は目を白黒させたのだが、彼女は「やっぱり遺伝子よ!」などと変なことを言っている。
世の中の父親とはこうも育児に頭を悩ませるものなのだろうかと少し首をひねった。
4ヶ月を過ぎると子供はお座りが出来る状態になった。
このころには既に自分の名前を理解しているらしく、名前を呼べばこっちを向く。
そしてその愛くるしい姿に団員―主に女性陣―は既にメロメロ状態であり、彼女とマチは衣服の量産、パクノダは離乳食の研究。
俺はと言えば毎日絵本を読み聞かせるという、子供は俗に言う大家族の末っ子状態に在った。
そろそろ合間合間に仕事を入れているので俺はしばしば、本拠地不在の期間が長くなっていた。
そして久しぶりに全員で本拠地に帰ってみれば、子供が駆け足をしていたのである。
これには本拠地に居なかった団員――彼女とパクノダを除く全員が度肝を抜かされた。
俺はふっと遠い目をしたあと、壁にかかったカレンダーをみる。
まだ6ヶ月しか経ってない。
生まれてから、6ヶ月しか経ってない。
遠い目をする俺にシャルナークが「さすが」といったのが耳に残った。
そしてさらに衝撃の事実といえば、駆け足は出来るというのに言葉はしゃべれないということだ。
未だに「あー」とか「うー」とか言いながら駆け足をするあのシュールな赤ん坊が脳裏に焼きついて離れない。
因みに子供がしゃべれるようになったのは10ヶ月目。
脳みその出来はどうやら平均並みの様である。
「おとーさん、おとーさんはなにをしているひとですか?」
珍しく自分から話しかけてきたと思えば、突拍子も無いことを聞かれてしまった。
どういうことかと思って彼女のほうを見れば彼女がニヤニヤと笑っている。
その隣のシャルナークもニヤニヤしていた。
内心舌打ちした俺は悪くない。
「なんだ、お母さんは教えてくれないのか?」
「あのね、おとーさんのことはおとーさんにきいてきなさいって」
「なるほど、ふむ」
さて、どうしたものだろう。
俺は正直に言うべきが、嘘をつくべきか迷った挙句、その俺譲りだと彼女がいう真っ黒な瞳をじっとみてから口を開く。
「お父さんはな、盗賊だ」
「とうぞく?とうぞくってなぁに?」
「とっても夢のあるステキな仕事だ。がんばってがんばって自分の好きなものをとってくるお仕事だよ。とってもお金もちになれるし、欲しいものは全部手に入る」
シャルナークと彼女の肩が揺れている。
彼女は口元を押さえて、シャルナークは体をくの字に曲げて、だ。
因みに目の前の子供はその大きな真っ黒い瞳を極限までに見開いて、キラッキラと輝かせている。
「おとーさんすごいね!あたしもとうぞくになりたい!!」
「そうか。ちなみにお母さんもシャルも盗賊だぞ」
「おかーさんも!?」
子供は彼女を振り向いたが、彼女は口元を抑えて肩を震わせながら首を縦に振ることしか出来なかった。
子供と風呂に入ると、俺は必ず注意していることがある。
それは、髪の洗い方だ。
「何故両手を使わない」
「えー、片手で十分だよー」
子供はいいながら片手でその緑を帯びた髪を洗う。
しかしそれでは洗えないところが出てくるだろうに。
「両手でやれ、両手で」
「えぇー、だってとーさん、かーさんは片手で洗ってるよ」
そういえば彼女も片手で洗っていた。
そして何かにつけてそんな文句を言うなら洗えと、俺に頭を差し出してくるのだ。
彼女はそうなったら梃でも洗わせるのでもう慣れたものだが、そんなところまでこの子供に似てほしくはない。
「それはお母さんの悪いところだから、真似しなくていい」
「むう・・・」
「ほら、両手で洗え」
「・・・はぁい」
イイコのお返事を返した子供は一応は両手で洗い始める。
だが1分も経たないうちに「洗ったよ、流していいー?」とそのまだ肩までしかない髪を俺に差し出してきた。
ため息をついたのは致し方ないことだと思う。
「まだだめだ」
「ええー、あらったよ、泡いっぱいだよとーさん」
「まだ耳の後ろもうなじも額の辺も残ってるだろ」
「むむ・・・」
子供は観念したように耳の後ろとうなじと額との境目を何往復かして、もう一度「あらったー」とその泡だらけの頭を差し出し
てきた。
今度は合格である。
「よし、じゃあ流すから目と口閉じとけよ」
「はぁい」
「言った先から口を開けるな」
因みに、脱衣所で小さく「うっ・・・くくっ・・・」と忍び笑いが聞こえてきたのだが、それは聞かないことにした。 |