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―――・・・ごめん、ごめんよ・・・
誰かの声が、聞こえた。
ひどく懐かしい声なのに、誰の声かはわからない。
ただ、緑色の視界の中にその人影を見た気がして、必死に目を凝らした。
―――・・・ごめんよ・・・
泣いているのか、その声は震えている。
泣かないで、と伝えたいのに声は出ない。
まるで水の中にいるような感覚に、ひどくもどかしくなって手を伸ばした。
「おと、う、さん」
真夜中にふっと目を覚ました。
寝汗をかいたのかべたつく首の後ろを気にして、寝床代わりのソファを抜け出す。
カーテンの隙間から差し込む月明かりは柔らかく、遠くに聞こえる虫の声。
・・・眠れない。
キュっとコックをひねって少しぬるい水で顔を洗う。
本当はシャワーを浴びたかったが、さすがに宿主――名前を雲雀恭弥という。彼はどうやらこのマンションに一人暮らしをしているらしく、彼の両親は一緒に寝起きを始めて1ヶ月経とうとしている今日でも顔を見ていない。彼は"風紀委員"で町の秩序と治安を守っているらしい。ちょっとよくわからないが、話を聞いた限りなかなかの暴君っぷりだった。本人にはいわないけれど。そんな彼を私は"恭弥"とファーストネームで呼んでいるわけだが。これだって最初はためらわれた。ただ、彼が拾ってくれてあまつさえ「追われているならこの家でかくまってあげるよ」なんていうものだから(しかもちゃっかりそれに甘えてしまっている自分がいるわけで)彼が「恭弥ってよんで」というのなら、拒否なんてできない。そんなわけで私は彼をファーストネームで呼んでいる――に悪い気がして、顔だけにした。
目の前の鏡に映る、少しぬれた真っ白な髪と、それを覗き込む真っ赤な瞳。
自分は異様だ。
この瞳はカラーコンタクトではないし、髪だってブリーチしているわけじゃない(と、思う。なんといっても記憶がないのだから真否は不明だ。)
人間学上で、こんな色彩はありうるのだろうか。
・・・あったとしても、何らかの患者か何かだろう、とおもう。
そのぐらいこの色の取り合わせは異色だった。
「・・・だから」
攻撃を受けたんだろうか。
この色の取り合わせが珍しいから、あの誰だかわからない"彼"から攻撃を。
そもそも、なぜ私は攻撃を甘んじて受けたのか。
なまじの人間では私を傷つけることなんて、できないのに。
「・・・」
・・・"なまじの人間では、私を傷つけることなんて、できないのに"・・・?
どういうことだ。
何でそんなことを思ったんだ、私は。
サッと血の気が引いていく。
「・・・あ、たし」
もしかして、人間じゃ・・・。
「どうしかした?」
「あ・・・恭弥」
声のほうに振り返れば、恭弥が少し眠たげにこちらを見ていた。
真っ黒なその瞳が「何にもないなら早く寝なよ」と語っている。
「あ、のね・・・」
私、もしかしたら人間じゃないのかもしれない。・・・だ、なんていえない。
なんて馬鹿なことを、なんて思われるかもしれないし、第一確証があったわけではない。
確信すら怪しい。
そんな事なんて"報告できない"。
「・・・つ、き・・・その、月が、キレイだなぁっておもって」
「ふぅん?」
恭弥は訝しげな顔をして、洗面所の窓から見える本の少し欠けた月を見やる。
その視線を追って、私も窓の外をみた。
凛々と輝く蒼銀の月。
下手な言い訳をしたけれど、嘘が真になってしまった。
気分は棚から牡丹餅といったところで、その美しい月をみる。
「お月見、したいねぇ」
「・・・じゃあ、明日お団子買ってきてあげる」
「・・・恭弥が?」
「・・・なに」
「イーエ、ナンデモアリマセン」
もしかしたら明日は、雨が降っちゃうかもしれない。
そしたらお団子があっても月見はできないなぁ。
「ちょっと、何で笑うのさ」
「ナンデモナーイ! ナンデモナーイヨ!」
「何で棒読み」
はぁ、とため息をついて恭弥は「ほら」と手を差し出してきた。
疑問に思ってその差し出された手と恭弥の顔を交互に見つめる。
「いくよ」
「え、どこに」
「寝室に」
「・・・いや、私ソファでいいし」
「寝れないんでしょ」
その言葉にバッと顔を上げた。
きっと今の私はすごく情けない顔をしてるんだろうな、と思う。
恭弥はヤレヤレといった具合にため息を吐いて、その差し出した手を私の頭にポンッと置いた。
「何考えてるかなんて、僕は知らない」
「・・・」
「いわれなきゃ、わかんないから」
それは、言えといっているのか、それとも言わなくていいといっているのか。
すごくあいまいなその言葉は彼の微笑とともに、私の中へ落ちた。 |