燃えるような夕日と、握られた右手と真新しいボストンバックを握った左手。
ボストンバックの中に入っているのは、幾ばくかの食料と簡素な服、それから、家族の写真。
目の前にある母の墓標は夕日に照らされて赤黒く見えた。
涙はすでに乾いてる。
こすりすぎて腫れぼったい瞼を少し気にして、右手を握っている人物を仰ぎ見、口を開いた。

「お父さん、どこにいくの?」
「お父さんの研究所だよ」

答えた父の声はどこか暗く、硬い。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・これで、下がるといいけど」

彼女が突然高熱を出して、もう3時間あまりが経とうとしている。
苦しそうにうめく彼女はしかし、かたくなに病院を拒んだ。
おそらくは彼女を追っているという、彼女自身もよくわかっていない相手を警戒してのことだろう。
とりあえずは市販の解熱剤を与えたが、果たして効くかどうか。

「・・・あ」
「ん」

手を伸ばしてくる彼女と目を合わせた。
熱で浮かされた赤い瞳は生理現象で張った膜のせいか、それとも室内灯の加減か、ルビーよりも赤い宝石に見える。
彼女はじぃっと僕を見つめたあとでニコッと笑った。

「おとうさん」
「・・・」

どうやら熱で混乱しているらしい。
僕は君の父親じゃないんだけど、と口を開こうとしてハッとした。
彼女は記憶喪失ではなかったのか。
だとしたら、父親の記憶も失っているはず。
ならばここで父を呼んだということは、熱に浮かされて記憶が戻ったのか・・・それとも。

「・・・どうしたんだい」

否定はせずに、彼女の伸ばされた手を握った。
すると彼女は安心したように笑う。

「あのね、あたし、だいじょうぶだよ」
「・・・」
「どんなことされてもね、いたいっておもわなければ、いたくないんだよ」
「・・・」
「だから、ね、おとうさん、なかないで」

笑う彼女の顔は、発熱のせいで青白い。
呂律の回ってない口でつむぐ言葉はつたなく、まるで幼い少女のようだ。
これは・・・記憶が戻ったわけではなくて、熱のせいで記憶が一時的に戻って混同でもしてるのだろうか・・・。
その可能性が高いかもしれない。

「・・・誰かに、何かされたの」

彼女のことを少しでも知っておけば、彼女が狙われる理由も何かわかるかもしれない。
そう思っての、発言だった。

「わすれたの?」

その声は、低く底冷えするような声。

「おとうさんが、したんだよ」

絶望と、憎しみと、悲しみと、痛みを伴ったその声。

「わたしのめに、あのまっかないしを、いれたでしょ」
「・・・な」

瞳に・・・石!?
かつてない衝撃だった。
そんなことが果たして可能なのか・・・というか、それは失明するんじゃないのか。
だが同時に、なるほどと納得してしまう自分がいた。
光の加減で瞳が硬質的にキラキラと輝くのは、その石のせいなのかもしれなかった。

「・・・でも、しかたないよね」
「・・・」
「そうしなきゃ、あたし、しんでたんでしょ?」
「・・・」
「だから・・・ね、そんな、なきそうなかお、しないで」

もう片方の手が伸ばされて、僕のほほに触れる。
その手のひらは熱を帯びて暖かかった。
無性になんだか悔しくなって、下唇を噛み、僕のほほに触れた彼女の手に、僕の手を重ねる。
その瞬間うれしそうに笑った彼女の笑顔は、しかし、僕に向けられたものではなかった。

 

 

 

 

 

 

燃えるような夕日と、握られた右手と真新しいボストンバックを握った左手。
ボストンバックの中に入っているのは、幾ばくかの食料と簡素な服、それから、家族の写真。
目の前にある母の墓標は夕日に照らされて赤黒く見えた。
涙はすでに乾いてる。
こすりすぎて腫れぼったい瞼を少し気にして、右手を握っている人物を仰ぎ見、口を開いた。

「お父さん、どこにいくの?」
「お父さんの研究所だよ」

答えた父の声はどこか暗く、硬い。

「研究所?」
「ああ、イタリアにあるエストラーネオファミリーの研究所」

どこでもよかった。
独りにならなければ、どこでもよかった。
もう独りになるのは嫌だったから、右手を握る人が本当の父じゃなくても、この人が父と名乗るならば、それで
よかった。

「・・・もう、一人にならなくてもいい?」

独りは寒い。苦しい。悲しい。

「・・・ああ、もう、お前は一人じゃないから」

くれた言葉がもし嘘だったとしても、右手を握る熱は、暖かかった。