コポリと音を立ててあがる気泡に、薄く目を開けた。
幾重にも巻きついたコードが邪魔で身動きはとれない。が、それももうなれた。
今日で、何日目になるだろう。

この前この試験管から出されたときは確か、ボスが「ロクドウムクロ」がメインラボを破壊したと、態々知らせに来てくれたときだった。あれは何日前のことだろう。
ボスの命令が下されれば、私は「ロクドウムクロ」を倒すためにこの中から出されるはずだ。
けれど、いつまでたっても命令が下らないのは、何故だ。

そのときカチャリと奥のドアが開いた音がして、私は研究室に誰かが入ってきたことを知った。
靴音は次第に近づいてきて、目の前でとまる。

「アルバ・・・」

靴音の正体は、父だった。
父はここのメインスタッフで、地位的にはチーフにあたる。私の瞳にあの赤い石を埋め込んだのも父だ。
ただ、あまりに忙しいためか、ここ数日はあまり顔を見せてくれていなかった。

「・・・ごめん、ごめんよ・・・」

久しぶりに見た父の顔は、液体の中からでもわかるほど、涙でぬれていた。
どうしたのか問おうとしても、試験管の中にいては声を出すことができない。
父はただ試験管にすがり付いて、涙を流していた。

「・・・お前の網膜にユミルの心臓の破片を埋め込んだのは、彼の実験から逃させるためだったのに・・・」

彼、とはボスのことだろうか。真意を問いたくて、じっと父を見つめる。
見つめることしかできない。
ガラス越しでは彼の涙をぬぐってあげることも、声をかけてあげることも、慰めることも、できない。

「それがこんな・・・ごめん、ごめんよ・・・」

―――・・・私は、大丈夫だよ、お父さん

痛みと感情を切り離してしまえば、痛くないんだよ、お父さん。
どんなに切り刻まれても、そのたびに傷を治されても、なんとも思わなければ痛くないんだ。
だから泣かない、私は泣かないよ。
ねぇだから、お父さんも泣かないでよ。

思いが伝わったのかは定かではない。
父はギュッと唇を噛み締めた後、袖口でグィッと涙をぬぐった。

「・・・私はこれから、ボスに会いにいってくるつもりだ」

まっすぐに私を見つめてくるその瞳には、もはや悲しみも憂いも、ましてや迷いなどはなかった。
父はほんの少しばかり私を見つめて、笑う。

「帰ってきたら、私のお願いを聞いてくれるかい?」

命令ではなく、お願い。
ボスからではなく、父からの。
うれしかった。
優しく笑うこの父の願いなら、是が非でもかなえたかった。
私を物としか扱わない、物としか見ないこの研究所で唯一、こんな優しい笑顔をくれるこの父の願いを、必ず成し遂げようと思った。

「約束だ」

父の右手の手のひらが、試験管に触れた。
私はコードが幾重にも巻きついた右手を何とか動かして、ガラス越しにそれに重ねる。

―――・・・約束、お父さんと、約束した。

ただその事実だけが私にやさしく、うれしかった。












それなのに・・・―――。











「さあ、私を殺してくれ」











父は、約束した時と同じ笑顔で、私にお願いをした。






























「そういや骸さん、あの女なんなんれすか?」

ボーリングの玉を右手でくるくると回転させながら聞いてきた犬に、僕は「覚えていませんか」と笑った。

「彼女は"Alba・Albicare"」
「白い夜明け・・・れすか?」

僕は「クフフ」と笑いながら、当時を思い返す。

僕の右目の核となった"力ある石"はイタリアとスイスの国境付近にある鉱山で偶然発見された。
といっても、その石は僕がもともと持っていた力を引き出す起爆剤にしかならなかったわけだが。
その石は、そのあまりにも生々しい血のような色とその強大な力から"世界を生みし巨人[ユミル]の心臓"と名づけられた。
石は細かく砕かれてから裏ルートに流れたが、そのいくつかをエストラーネオファミリーが確保して、特に大きな石をメイン研究所にいた僕に。ほかの細かい石はサブ研究所に流れ、僕のほかに石を埋め込める被検体が現れたときのためにとって置いたらしい。・・・つまりは、もし僕が何らかの形で壊れた場合の"スペア"を、彼らは作ろうとしていた。

そうしてできたのが彼女Alba・Albicare・・・"白い夜明け"だった。

彼女の本当の名前を、僕は知らない。
どこかの農村から連れてこられたということだけはわかっているが、彼女の本来の名前と出生はエストラーネオファミリーによって完璧に抹消されていた。

彼女のことを知ったのはそう、あのメイン研究所を破壊しつくしたとき。
あの血染めのタイル張りの部屋で殺した大人が事切れる寸前「お前の代わりなどいくらでもいる!!」と叫んだ。
ただの捨て台詞かとも思ったのだが、不本意ながらも"兵器"として作られた僕には、スペアがいても不思議じゃない。
やるなら徹底的に彼らを撲滅するつもりでいたし、何より自分と同じ存在がいるのはとても気持ちが悪かった。
だから彼女を殺そうと、僕は千種と犬を連れて、僻地にある第5研究所へ足を向け・・・そして。



同じ存在であるはずなのに、全く違う力を持った彼女に、深手を負わされた。





なぜ、同じ存在のはずなのに全く違う力を、彼女は持ってしまったのか。
理由は簡単だ。
僕にとって[ユミルの心臓]はただの起爆剤に過ぎず、僕の力はもともと"僕の体"に刻まれているものだった。
けれど、彼女は"僕"ではないから、彼女は"僕の力"を使えない。
ゆえに彼女が持つ全く違う力というのは、[ユミルの心臓]の本来の力だ。
なんという皮肉だろう。
石の大きさから言えば、僕の右目に使われた石のほうがはるかに大きかったはずなのに、本来の力を引き出しているのは小さな破片を散りばめられた彼女というのだから。

僕は高らかに嘲笑い、そして喜んだ。

僕にも深手を負わすほどの、強大な力をもった[ユミルの心臓]の力を使いこなしている彼女と契約すれば、これからしようとしている計画が、さらにスムーズになる。
僕は嬉々として三叉槍で彼女を傷つけ、そして知った。



僕は彼女に、憑依できない。





六道の力は彼女に有効であり、マインドコントロールもおそらくは彼女の意思が揺らいだ隙であるならたやすいだろう。
だがしかし、憑依だけはできなかった。
どんな仕掛けが彼女の中にあるのかはしらない。
だけれど確実に、僕とはまた違った実験をされていたのは確かだ。

そして僕は、彼女と契約ができないまま、逃亡することになる。
もちろん、その後彼女の足取りを追わなかったわけではないが、彼女もまた追われているらしく、途中で見失ってしまった。






「彼女はね、犬」

僕は不思議そうにこちらを見返す犬に、ニッコリと笑う。

「もしかしたら僕だったかもしれない存在なんですよ」